恵比寿・きいもん
志村けんさんの「だいじょうぶだぁ」ユーチューブで公開
経費を除いたCMなどの収益をすべて日本赤十字社に寄付。
志村さんが新型コロナウィルス感染症により亡くなって
社会に対して何ができるのか検討した結果と所属事務所。
さて、おなじみ恵比寿在住業界人の「恵比寿会」である。
前回「coyacoya」の会を欠席したためより久々感がある。
東口びっくり寿司の横の道徒歩5分の居酒屋「きいもん」
今回直前のキャンセルが重なり若干5人での開催となった。
間口2間の1階は厨房と奥に長く伸びるカウンター
2階にもL字のカウンターとロフト風のスペースが。
駅からは少し離れているがこの日はどの席も満杯で
恵比寿で流行る店の秘訣は一体何かと興味をそそる。
たまねぎスライス
お通し的な位置づけ
刺身盛り合わせ
くるまダイ
タラこぶじめ
歯がつお
アジ
お刺身の魚の種類をお姉さんに質問してみたら
忙しくてちょっと面倒くさそうなリアクション
もしかして怒らせてしまったかと思っていたら
魚の位置と名前がわかるていねいなメモをくれた。
店主の木原さんは富山県出身で今年で50歳になる。
学生時代のアルバイトからそのまま恵比寿の魚真に。
40歳の時に独立して8年前に「きいもん」を始めた。
恵比寿のお客さんは生活感度が高くやりがいがあると。
玉子焼き
きくらげが入っている
当店の人気メニューらしい
のでひとり一個ずついただく
のどぐろ塩焼き
メインディッシュ的な位置づけ
脂がのってぜいたくなうまさ
魚串焼盛
カジキ
マグロ
ブリ
サワラ
お刺身と同じように焼き魚をいろいろ
少しづずいただける当店のウリである。
お刺身と同じく魚の種類のメモをくれた
実はやさしくて気の利くお姉さんである。
恵比寿を生活の拠点に活躍する起業家タイプも多いが
実は近所の商店主や地元の家族連れなども多いという。
中には近くの銭湯の帰りに寄ってくれる客もいるとか。
そんな日常使いのできる気軽なお店でありたいと店主。
ポテトサラダ
しめの前にもう一品
じゃこめし
さんしょうが利いてるしめのごはん
魚尽くしのあとでとってもヘルシー
「かつお鉄火」や「ひとくちカレー」
他にも気になるメニューが盛りだくさん。
どうしても名残惜しくてもう一品
初めていただくさばガリがうまい
1階、2階ともカウンターなのでお客との距離感が近く
間には吹き抜けがあって全体として風通しがとても良い
ワイワイガヤガヤした喧騒が生まれお店に一体感がある
モノだけでなく時間と空間を提供するのが人気の秘訣かも。
きいもん
050-5456-1827
日本ばし・やぶ久
新型コロナウィルスの感染拡大防止の観点から
TBSはドラマやバラエティの収録を見合わせ
情報番組でも出演者どうしの距離をあけるなど
いよいよテレビ番組にも影響を及ぼし始めた。
さて、日本橋の老舗のそば屋「やぶ久」である。
おなじみ江戸文化研究会の例会が久々に行われた。
新型コロナウィルスの騒ぎが始まった頃であるが
金曜日の夜ということもあって店は混雑していた。
コレドなどモダンなビルが立ち並ぶ日本橋
その一角に古くからの商店街が残っている。
間口はかなり狭いがそのぶん奥行きがあり
急勾配の階段を上がれば3階まで席がある。
お通し
お箸とお手拭きとそば味噌
そば豆腐
そばの味がする
「せまくても こんでいてても いましばし
まったかいあり ここのそばかな」と箸袋にある。
当地にあったそば屋「やぶ」を初代久次郎が引継ぎ
明治35年に「日本ばしやぶ久」となって今に至る。
江戸のそば屋には老舗で知られる店が多いとは言え
以来、四代百十余年にわたり何も変わることはない。
銀座レンガ通りの銀座店を加えて3店舗を展開する。
そば稲荷
油揚げの中身は
そばである
おつまみ盛り合わせ
だし巻き
板わさ
小海老から揚げ
北海道産の最高級そば粉を使うのは店のこだわり
小麦粉2割にそば粉10割で作られる「外二蕎麦」
小麦粉2割にそば粉8割の「二八蕎麦」に比べて
そば粉の割合が多いぶん香り豊かでのどごしも良い
厚削り1.2㎜のかつお節「本枯節」をふんだんに使い
濃いめでも上質で品のいいつゆが楽しめると言う。
どれも主張しすぎることがないのが最高のつゆだと。
鴨鍋
真っ黒いだしはそばつゆ
鶏肉が一片だけ浮かんで
つくね、しいたけ、まいたけ
えのき、なめこ、ネギ、白菜
鴨は最後に入れる
量が多くてびっくり
鴨肉が肉肉しくてうまい
鶏肉より豚肉に近い食感
下町を中心に「木鉢会」と呼ばれるそば屋の組合がある。
新規参入のそば屋が多くなり味が乱れることを懸念して
各のれんどうしの交流と技術の伝承、向上を目的として
3代目以上の伝統を持つ現役のそば屋だけで結成された。
「木鉢」とはそばを練る直径70センチほどの大きな鉢
この工程でそばの味、こし、風味の8割が決まると言う。
「室町砂場」「神田まつや」「更科堀井」「上野蓮玉庵」
江戸のそばを今に伝えるいずれ劣らぬ名店ばかりである。
うどん
そしてそば屋なのにうどん
鍋のしめは意外にもうどん
これがじゅうぶんコシがあり
だし汁と絶妙にからみ合って
鴨肉や野菜の味が染み込んで
だしもだんだんと甘くなって
せいろ
なんというボリュームか
そばもやはりコシがある
やぶだけど緑色ではない
濃いめのだし汁がうまい
そばアイス
そばの実が入ってる
さっぱりしてうまい
恵比寿・ふくらむ
現役東洋大生として3季連続でこの種目での出場を決めた。
「はとこがオリンピック選手ってすげぇ!」と祝福していた。
さて、恵比寿のふぐしゃぶ居酒屋「ふくらむ」である。
恵比寿駅近く有名店が並ぶバス通り沿いの一角にある。
実は入れ替わりが激しくこの店もいつの間にかできた。
ツイッターで劇的な再会をした小学校時代の同級生と
2名なので予約の時に一応テーブルの希望を入れたが
他に3、4名のお客が何組も入り結局カウンター席に。
中で調理する様子が間近に見られてこれはこれで面白い。
おとうし
おとうしからふぐ刺し
ちゃんと皮もついてくる
王様とらふぐ刺し
つまみとして発注すると
まとまった量でやって来る
春菊とトマトの塩昆布サラダ
塩昆布が利いててなかなかうまい
5年前に兄弟で下関から出て来て白金高輪で居酒屋を始めた。
下関の郷土料理を基本としながらもラム肉のメニューを出し
和食とラム肉という珍しい取り合わせがやがて評判を呼んだ。
下関と言えばもちろん「ふぐ」自分たちの今のウリは「羊肉」
「ふぐ」も「羊肉」も鮮度が大事というのが新しコンセプト
「ふく」と「らむ」を掛け合わせ新しい店名も出来上がった
タン焼き、串焼き、ステーキとラムのバリエーションも豊富。
とろラムユッケ
これは珍しいラムのユッケ
まさに鮮度が勝負の逸品だ
カウンターで珍しいむぎ焼酎のボトルを見つけてしまった
その名も「いまかの」「もとかの」「となりのおくさん」
「いまかの」はやっぱり素直な気持ちで「朝まで飲みたい」
「もとかの」はそれでもどうしてもと「もう一度飲みたい」
「となりのおくさん」はちょっと好奇心「一度は飲みたい」
「いまかの」と「もとかの」のハーフは「修羅場」という。
厚切りとろラムしゃぶ
こちらがメインディッシュ
ふぐ皮と寒天状のふぐの出汁
ふぐ皮が踊り出したら
たっぷりの野菜を入れる
沸騰したらラム肉をしゃぶしゃぶ
10秒くらいしたところでいただく
ふぐの出汁とラム肉がなぜか合う
お店のコンセプトを体現した一品
シメは「追いそば」と言って茶そばを入れるか
下関名物「瓦そば」というセレクトもある
客がひと組帰ったと思ったら入れ替わりに次の客が来る
ヘルシーなイメージがあるのか女性にも人気がありそう
5年前に下関から出てきたなどと聞けば応援したくなる
恵比寿のバス通りの激戦区での健闘を祈るばかりである
ふくらむ
050-5456-4993
六本木・食堂弐番
名古屋ウィメンズマラソンで一山麻緒(ワコール)が優勝
2時間20分29秒の日本歴代4位にあたる好記録を出し
雨の中、完勝でレースを制し「夢みたいです」と喜んだ。
さて、六本木の路地裏にある居酒屋「食堂弐番」である。
以前に一度来たことがあるがブログに書きそびれていた。
人目を忍ぶような場所にある店を「隠れ家」とは言うが
ここはいくらなんでも隠れすぎではというほどの隠れ家。
不便な場所ではないが入り口を見つけるのが至難の業で
まさかと思える人の家のガレージにずんずんと入りこみ
ふと横を見ると「食堂弐番」の小さな看板を発見できる。
地図を片手に探しても初めてくる人は100%迷うはず。
いぶりがっこと豆腐のサラダ
いぶりがっこの風味が利いて
肉厚しいたけの炭焼
バターとこげたしょう油の香り
広島産カキフライ
ソース派としょう油派に分かれます
建物は築50年とも言われる古民家風の一軒家で
1階が厨房と5、6人でいっぱいになるカウンター
急な階段を上がると2階に個室が大小4部屋ある。
掘り炬燵やソファーなど家具も雰囲気もバラバラ。
場所柄か朝4時まで営業しているので業界人は多い
隠れ家のわかりにくさも含めて人に教えてたくなる。
六本木ヒルズの映画の前や後などという使い方も
デートでここに連れてこられたら結構評価高いかも。
新じゃが芋の素揚げ
里芋のから揚げなんてのもある
カジキマグロのトロカツ
チキンカツのような見た目と食感
こちらはタルタルソースでいただく
特製豚しょうが焼
そろそろご飯がほしくなる
レンコンのきんぴら
歯ごたえ抜群のレンコン
メニューには「あきたこまちとお味噌汁のセット」も
「納豆」に「生卵」や「明太子」なども充実している。
看板に偽りなく「居酒屋」に「食堂」の機能も備える。
時間が不規則な業界人にも重宝がられる所以であろう。
冬場には「きりたんぽ鍋」など郷土食豊かなものもある
全国の食材が楽しめるがそもそもは秋田料理の店らしい。
調理人はたったひとりですべてのメニューをこなしている
料理が遅いとの批判もあるがここはゆっくり待ちたい気分。
だし巻き卵
ケレンのない端正なだし巻き
こつぶながら中身ぎっしり
しめはやっぱり秋田名物で
今日は芸能界第一線のマネージャーさんたちと「三宿の会」。
昨今「不倫」「薬物」「闇営業」とタレントの素行が問題に
某大手プロダクションでは薬物の身体検査まで行われたとか
マネージャーさんたちの悩みは尽きず酒宴は夜更けまで続く。
食堂弐番
03-3401-2296
恵比寿・うな徳
新型コロナウィルスの猛威がまったく衰えない。
国内でも感染者数は増加の一途をたどっている。
イベントや会合など休止の知らせも後を絶たず
5か月後のオリンピックがますます心配になる。
さて、恵比寿の老舗うなぎ屋「うな徳」である。
恵比寿神社にほど近い繁華街の真っ只中にある。
居酒屋、焼肉、焼き鳥、スナック、カラオケと
今恵比寿で一番盛り上がっているエリアである。
間口2間は知らないとたぶん通り過ぎてしまう
赤い提灯が目印とお店の人が教えてくれるほど
カウンターが8席、二人がけのテーブルが2卓
狭いけどいい店なのは座ってみればわかるはず。
お通し
しらたき
おからときざみ海苔
メニュー
カーテンレールに吊ってある
カウンターの上を右に左にと
移動できるようになっている
鰻巻
見た目テリがあってうまそう
実際に食べるとやはりうまい
さすがうなぎ屋の鰻巻である
中華豆腐
ハムときゅうりときざみ海苔
冷やし中華みたいな中華豆腐
数あるつまみのメニューから
これを当てる引きの強さなり
実はここに来る前に駒沢通りの山本商店で一杯
老舗の酒屋だが角打ちでいただくことができる。
店のおばちゃんは正直言って愛想が良くないが
ちょっとしたつまみなどもあって気軽に飲める。
最近の恵比寿はお店もバリエーションが豊富で
飲んだり食べたり遊んだり楽しみ方もいろいろ。
うな徳に戻って
刺身盛り合わせ
いかまぐろヒラメホッキ貝
4人ぶんなので4切れずつ
焼きポテトサラダ
常連が必ず食べる定番だとか
熱々でいただくポテトサラダ
うな串
塩かたれの選択がある
今日はたれでいただく
やわらかくて美味しい
いか塩辛
まわりが酒のみなので
牛すじ味噌串
2本セットで一人前だが
あと1本しかないと言う
それでもいいと発注する
それなりに甲斐があった
「うな徳」は昭和49年創業というからもう46年
こんな老舗があることが、恵比寿を面白くしている。
5年前までは恵比寿の別の場所で営業していたとか
長年住んでいるのに恥ずかしながら知らなかった。
前の店はカウンター7席と補助いすが2脚だけで
これでも少しは広くなったというから驚かされる。
そんな狭い店に移転してもついてくる常連は多い
46年かけ店と一緒に作り上げた「うな徳」の味。
ねぎま塩
しめの前にもう少しだけ
長いメニューから選りだす
山芋の千切り
特上うな重
一人前をふたりで分けてちょうどよく
ふわふわの鰻がスッと腹に入ってくる。
焼肉ドラゴ
なお感染拡大が続く新型コロナウィルスによる肺炎患者
その数は中国本土で1万4千人、死者は300人を超えた。
湖北省には帰国を希望する日本人がまだ140人以上いて
日本政府はチャーター機第4便の調整を現在も続けている。
さて、清澄白河の焼肉肉しゃり「ドラゴ」である。
2002年に引退した元関脇の貴闘力が経営する
先ごろ徳勝龍で話題になったいわゆる「幕尻優勝」
20年前に史上初めて達成したのが貴闘力である。
ざっと60席は超えていそうななかなかの大箱である。
さすが元関取の経営する店だけに相撲関係者の客も多く
この日はちょうど帰りがけの小錦さんご夫妻とすれ違った。
赤サラダ
赤サラダはドレッシングが赤い
白サラダはドレッシングが柑橘系
ドラゴ盛り
店の名前を冠したおすすめ盛り合わせ
この日はタン塩、ヒレ、ハラミ、もも
さらに名物ゲタカルビを合わせた決定版
このセットを「ガリタ盛り」と呼んでいたこともある
タン塩は塩かわさびでコリコリと
ハラミやももはあくまでもやわらかく
ヒレは上等な赤身の旨味を楽しめる
1983年(昭和58年)3月場所に初土俵を踏んでいる。
強烈な張り手と激しい突き押し相撲で大いに会場を沸かせ
90年代は前頭上位から三役で長く安定した成績を残した。
しかし30歳を越えたころから次第に負けが込むようになり
2000年の3月場所にはついに幕尻の前頭14枚目に陥落
誰もが十両陥落を予想したその場所なぜか初日から12連勝
ついに13勝2敗で史上初の幕尻による幕内優勝を達成した。
キムチ盛り
肉しゃり
左がハラミで右が中とろ
こちらも店の看板メニュー
炙り牛刺し
こちらは新メニュー
サッと炙ってうまい
焼きしゃぶ
冷凍を機械でスライスした極薄のサーロインの肉を
お店の人に焼いてもらいタレと生卵ですき焼き風に
優勝の結果小結に復帰するもその後ふたたび成績不振に陥り
前頭14枚目で迎えた2001年5月場所ついに十両に陥落
さらに翌年9月場所幕下陥落が決定的となり現役引退を表明
年寄大嶽を襲名し大鵬部屋付きの親方として部屋を継承した。
ところが2010年6月野球賭博への関与が週刊誌で報じられ
調査委員会からの勧告により相撲協会から解雇処分を受ける。
江東区扇橋に「焼肉ドラゴ」を開店するのはその年の10月
上がったり下がったりとまさに波瀾万丈の相撲人生であった。
ゲタカルビ
最後に残ったドラゴ盛りのゲタカルビを
小さく切り分けながらじっくりと焼いて
試しにライスにのせて写真を撮ってみた
これは絶対に美味しいに違いないやつ。
その生活から逃れるために大相撲の世界に入ったのだという。
ところが、いつしか自分自身がギャンブルにはまってしまい
結局それが原因で相撲界から追われることになったのである。
現役引退後もギャンブル依存症はしばらく治らなかったとか
一時は焼肉店の税金を滞納し従業員に給与が払えないことも
店のエプロンには重い石を背負った貴闘力の姿が描かれている。
いずれもリーズナブルで美味しい肉をたっぷりいただける。
ちなみに今日のお店は4人でうかがって会計はおよそ2万円。
焼肉ドラゴ
03-3641-1129
横浜・太田なわのれん
覆面プロレスラーの新人候補グレート無茶さんが
15日の長野市議会議員選挙にトップで初当選し
議会に配慮しつつも今後も覆面で活動をする意向
「この姿で支援をいただいたのそれが礼儀」と。
さて、横浜の元祖牛鍋の店「太田なわのれん」である。
おなじみの江戸文化研究会がついに江戸を飛び出した。
大岡川沿いの静かな住宅街に突如として偉容を現わす。
相部屋はひとつだけでほかは4名から40名の個室である。
伊勢佐木町の繁華街が途切れた先の何もなくなったエリア
接待や観光客などこんな所にも思いがけぬ用途があるのか
明治元年以来、文明開化とともに始まる牛鍋の伝統を守る。
先付
牛肉一口にぎり寿し
牛すじ青葉寄せ
食用ほおずきは甘くて
フルーツトマトみたい
八寸
もろこし豆腐尼海老酒盗漬
帆立貝と錦糸瓜の浸し
粟麩と芋茎(ずいき)の甚太(ずんだ)和え
岩もずくとミニとまと
畳鰯辛味焼き
手の込んだ前菜が続く
先付の写真をよく見ると箸の巻紙にもフクちゃんが
牛鍋をつつくフクちゃんとお店の名前を描いた額や
絵皿や一升枡などが玄関ロビーに恭しく飾られている
「明治の鍋 遠くなりにけ里 太田の縄乃れん 英治」
牛鍋を前にお銚子を持ってなにやら談笑する明治の文豪
明治の香り漂う牛鍋に格別の思い入れがあったのだろう
もともと牛肉の串焼きを売っていた創業者の高橋音吉が
牡丹鍋をヒントに牛肉を焼かずに煮て食べる方法を考え
浅い鉄鍋を用い味噌と葱で臭みを消す今の牛鍋を始めた。
炭火の七輪を使って煮るのも当時から変わらない手法だ。
「品物は俺のもの。売るも売らぬも俺の胸先三寸。」と
頑固で酒好きの太っ腹、店主の音吉は豪放磊落の人らしく
朝からほろ酔い気分で仕事をするので肉はすべてぶつ切り
お客にはこれがかえって喜ばれたのだと語り継がれている。
ぶつ切り牛鍋
初めにぶつ切り牛肉がひと皿と
ご覧のような鍋がセットされる
お肉の上には大量の江戸甘味噌
鍋の中には一定量のだし汁がある
これはディスプレイ用の盛付けで
ここからお肉をいったん取り出す
ネギ、春菊、しいたけ、しらたき
など野菜もそれぞれ入れて煮込む
サシの入った上等のお肉を生卵で
調理法は明治初年から変わらぬが
こんないい肉は食っていないはず
味噌は臭みを消す工夫なのだろう
肉と野菜が煮えると盛り付けるローテーション
一巡めはまだ出汁と味噌と肉が分かれているが
二巡めになるとそれらがだんだんと混ざり合い
三巡めではもはや一体化して区別がつかなくなる
ここで肉と煮詰まった味噌を白飯にかけていただく
それはもう「美味しくないはずはない」というやつ
水菓子
桃の摺り流し
味の濃い牛鍋のあと
口直しにさっぱりと
前菜から水菓子までの
完成された流れである
帰りは少し足を伸ばし伊勢佐木町の怪しい繁華街を抜ける。
中国、韓国、東南アジア、インド、中近東などの各国料理
さすが国際都市横浜と思わせる多国籍の飲食店と客引き達
さっきまで元祖牛鍋を食っていたことが夢のように思える。
やがてヒーローインタビューの高揚した声が聞こえてくる
「日本大通り」って名前もやたらスケールが大きいなと思う。
太田なわのれん
045-261-0636