三田・華都飯店

男子ゴルフのメジャー、「日本オープン選手権」が
11日から神奈川県の相模原GCで開幕します。
ハニカミ王子こと石川遼くんは中嶋常幸と同組。
難コースと大先輩に囲まれ、実力を発揮できるか?


さて三田の中華料理、華都飯店である。
これでなんと「シャトー飯店」と読む。
最近テレビや雑誌で見かけることが多く、
行ってみたいと思っていたところなのだ。


オーストラリア大使館や綱町パークマンション
さらに三井倶楽部などが並ぶ由緒正しいエリア。
「シャトー三田」という、昭和40年にできた
ヴィンテージ級マンションの地下1階にある。



「慶応大学」「済生会中央病院」「博報堂」など
地元色の濃い、おそらく大口の予約に混ざって
一応「落合様」と書かれていたのは少し笑えた。



半地下には美容室「サロン・ド・シャトー」。
マンション「シャトー三田」が落成した時に
「シャトー飯店」とセットでオープンしたのか。
当時は相当にモダンなマンションだったのだろう。


店内も、年季を感じさせるシックな雰囲気。
流行にとらわれずわが道を行く潔さ。
ちょっと暗すぎるような気もしたが、
個人的にはこの感じ、嫌いではない。



甕だし紹興酒
紹興酒にはどうやら選択の余地がなく、
全てこの甕から出して常温でいただく。
不親切なようだが、うまいので文句はない。



雲白肉
薄切りにした蒸し豚にニンニクソース。
見た目も味も上品だがピリっとうまい。



フカヒレ入りアボガドのスープ
サッパリして、しかもマッタリする。
独特の食感がクセになる当店の名物。



マンション完成時に地下にこの店をオープンした
創設者の馬遅伯昌さんは世界的な料理研究家だ。
メニューの中で彼女の生い立ちが紹介されている。



中国ハルピンの銀行家の娘として生まれる。
おそらく相当な名家だったのだろう、父の友人で
当時の司法大臣尾崎行雄を頼って日本に留学した。


帰国後は馬家に嫁ぎ、いわゆる旧満州皇帝一族と血縁に。
戦後再び来日し、著作や料理研究を通じて民間外交を続け、
昭和40年オープンの華都飯店はその活動の拠点となった。


店内でちらりとご本人をお見かけした。
今も時々接客のためにお出ましになる。
おそらく80歳は優に超えているはずだが、
かくしゃくとして、しかも華やかさがある。
昭和史を今に伝える生き証人の一人である。



大正蝦のピリ辛炒め
普通のメニューも実にさりげない。
奥は手の込んだニンジンの飾り物。



炒時菜
季節の野菜のシンプルな一品。
今日は小松菜をサッと炒めた。



酢豚
豚肉がやや細切りになっていて
食べやすい、上品な酢豚である。



ところで今日は芸能界の大先輩方と会食。
阿久悠さん、土居甫さんと立て続けに
亡くなられる方が多く寂しい限り・・。」
なんて話で盛り上がっていたら、


「2年位前に亡くなったあの人、なんて言ったっけ」
島倉千代子の『人生いろいろ』を作曲した・・」
誰も思い出せない。結構ニュースにもなったのに。


「ここ2、3年で亡くなった人です」
市川昭介?」「いやいや違うでしょ」
猪俣公章?」「そんなに前じゃない」
「浜口庫之介?」「いつの時代の話だ」
スッキリしないまま食事はクライマックスに。


高菜チャーハン
ベタつかないサッパリ味だ。



坦々麺
こちらも当店の名物。せっかくだったら
お腹を空かしてたくさん食べたいところ。



杏仁豆腐
柑橘系の風味のゼリーと一緒に。
細かい工夫は本当に気が利いている。



他に大阪、和歌山、福岡、鹿児島に店があるが、
「華都飯店」のブランドと、調理や内装などの
基本的なノウハウを貸すだけで、経営は別だとか。
入社37年目の支配人がていねいに教えてくれた。


「最近テレビや雑誌によく出ていますね。」
と支配人に水を向けると、
「おかげさまで色々とお話を頂戴するものですから。
なにしろ普通の店ですので、どんどん宣伝しないと。」


42年目の店に自信がないはずがないのに、
謙遜してそう語る姿に、また好感が持てた。


ところで先ほどのクイズの答は、中山大三郎
ただし、会話の中にちょっとした誤解がある。
中山大三郎は実は「人生いろいろ」の作詞者。
作曲は浜口庫之介なので既に正解は出ていた。


3人で23,000円
ヴィンテージマンション入場料も込みと思えば。
華都飯店
03−3453−0893