天現寺・原田

「疑惑の銃弾・最終章」
三浦和義容疑者、サイパンでの突然の逮捕を受け
今日発売の週刊文春が、にわかに活気づいている。


1981年の事件発生当時から、
徹底して有罪を訴え続けた同誌の大キャンペーンは、
27年ぶりにまったく意外な形で終局を迎えるのか。


さて、天現寺のすっぽんの店「原田」である。
たら、ふぐ、あんこうと来てすっぽんである。
完全に調子に乗っている。
もしかしてこれが人生のピークかも知れない。


突然ですが赤坂のクラブ「ニューはる」のママは、
カルーセル麻紀と同期という筋金入りのオカマ。
その「はるママ」のお兄さんはすっぽん屋さん。
だから、クラブなのにすっぽんの生血が飲める。
店が終わった後、天現寺から赤坂まで運ばれる。



先日の異動に際し、引越しを手伝ってくれた、
F塚(通称バカ塚)くんのお勧めの店である。
「味はわかりませんがとにかくビンビンです。」
バカ塚は相変わらず救いようのないバカである。


お通し
銀杏、にんにくの素揚げ。きぬかつぎ。
ビンビンへの序章」と盛り上がるバカ塚。



たらの白子
「これって、たらの精巣ですよね?」
ビンビン」にからめたがるバカ塚。



刺身
手前はマグロ、奥はサヨリ
真ん中がすっぽんの肝と卵だとか。
それを聞いてまたハッとするバカ塚。



芋焼酎
鹿児島でなく宮崎の芋焼酎「導師」。
臭みが少なく、いくらでも飲める。



「ちょっと見てください。」
ご主人が呼ぶので行ってみると
床の上をすっぽんがのそのそと。
もちろんご主人が歩かせている。



「昨日まで2ヶ月冬眠してましたから。
目が覚めたら運動させたほうがうまい。」
「これは私たちがいただくすっぽんですか?」
「お客さんのすっぽんはもう鍋の中ですよ。」


生き血
すっぽんの醍醐味。
りんごジュースとお酒で割って。
「おかわり」と、おどけるバカ塚。



胆汁
これもお酒で割ったもの。
不思議な色合いである。



40年以上前、赤坂にすっぽんのお店を開いた。
弟の「はるママ」はすでに大人気のオカマで、
「原田」はご主人とお姉さんとで切り盛りした。


その頃は住まいも赤坂だったので、この界隈に詳しい。
一ツ木通りはもともと三木っていう代議士のお屋敷。
小高い丘を切り崩して、そこにTBSが出来たのよ。」
「今は38階建てのオフィスビルが建ってますよ。」
と言ったら目を丸くしていた。


「かどに『憩』っていう喫茶店があってさ。」とか
「向かいの『珍楽』もとうとう閉めちゃったね。」とか
懐かしくてたまらない昔の店の話が連発される。


やがて赤坂はお姉さんに任せて、広尾に支店を出す。
場所は広尾商店街の中に少しだけ入ったところ。
その場所がうちの実家にあまりに近かったので、
聞いてみたら、ご主人は私の父をよく知っていた。


「わたしその不動産屋のせがれです。」
「えーっ!そうなの、奇遇だねぇ!」
「2軒となりに今も時計屋があるでしょ。」
「鈴木さんね。」
「あそこの子供小学校の同級生です。」
「歯医者の娘むこがたまに来ますよ。」
電通さんですよね。私いとこです。」
などなど、ご近所の話題が終わらない。
すっかり意気投合し、すっぽんも佳境に。


すっぽん鍋
4時間かけてじっくり煮込まれた。
くせになる、とても濃厚なスープ。
甲羅など、コラーゲンの塊もたっぷり。



雑炊
奥でご主人が自ら調理する。
抜群の味付けである。



赤坂の縁といい、広尾の縁といい、
ご主人は他人のような気がしない。
「原田」の歴史を振り返りつつ
あらためてじっくり酒を酌み交わす。
おかげで雑炊のあとのほうが長かった。


バカ塚は本気で生き血をおかわりした。
私は今朝もビンビンでなく普通だった。
たぶん飲みすぎだと思う。
原田
03−3440−1988