人形町・よし梅

結局スコアを落とし4アンダーで32位。
石川遼のPGAノーザントラスト最終日。
ボギー先行で最後に2連続バーディー。
今後へ期待をつなげるラウンドになった。


さて、人形町の和食「よし梅」である。
江戸文化研究会新年最初の例会だ。
江戸文化を語るに足る街や店の背景。
いつも店を決めるときの基準である。


「よし梅」は何度も候補にあがっていたが
なんとなく敷居が高そうで敬遠していた。
今回は九段下の会員の強いおすすめで実現。
江戸文化を今に伝える名店の奥座敷へいざ。


時間があったので甘酒横丁界隈をひと回り。
軍鶏の玉ひで、豆腐の双葉、たいやきの柳屋。
居酒屋笹新の前で煮付けの香りに感嘆する。
探していた人形焼の店は見つからなかった。


人形町通りから大観音寺脇の細い道を入る。
右側に意外に大きなその店の全容が現れる。
初めは間口2間ほどの普通の小料理屋だった。
隣にあった芸者の置屋を買い取り店を広げた。



雰囲気のある店内は1階も2階もほぼ個室。
広くないが落ち着いた座敷でゆっくりできる。
特に冬場はねぎま鍋と相場が決まっている。
お通しと小皿とお猪口の無駄のないセット。



お通し
右はカツオの山椒煮。
一度濾してまとめた。



お造り
盛り付けもていねい。
典型的なたたずまい。



芳町茅場町など葭や茅のつく地名が多い。
さぞかし草ぼうぼうの野原だったのだろう。
芳町の梅さんが昭和2年に創業したという。
店は昭和だが街には江戸からの由緒がある。


甚内という男が京都から遊女を連れて来て
最初の遊郭を開いたのがこの辺りとの説も。
吉原の本家本元は人形町だったということ。
吉原の吉も草ぼうぼうのことかも知れない。


人形町は人形焼から来ているわけではない。
ましてや婦女子向けの人形のことでもない。
近くの葦屋町や堺町は芝居がとても盛んで
人形浄瑠璃や歌舞伎関係者が多かったのだ。


小鯵の南蛮漬け
お造りと鍋の間に
アクセントとして。



ねぎま
ねぎま鍋のマグロはトロ。
赤身でないところがミソ。
艶やかで綺麗なサシが入る。
そのまま食べてしまいたい。



鍋の中はカツオだしのスープ。
煮立ったら皿にとって食べる。



ねぎまの殿様』という題名の落語がある。
この機会にどんな噺かちょっと調べてみた。


ある時お忍びで出かけた城下でお殿様が食べた
鮪のトロと青ネギをぶつ切りにした「ねぎま鍋」。
赤身はうまかったが脂の多いトロは捨てられた。
江戸の昔はいたって下世話な食べ物だったとか。


下々の料理屋で醤油樽を床几がわりにして座り
それでもご機嫌で「ねぎま鍋」を楽しんだお殿様。
お城でも家来に言ってつくらせようとするのだが
出てきたのは鮪の脂をぜんぶ落とした代物だ。


これは違うと文句を言い下々の味を再現させて上機嫌。
「留太夫、座っていては面白くない、醤油樽を持て。」
『目黒のさんま』と同工異曲。さんまが秋ならねぎまは冬。
よし梅のねぎまは江戸時代よりだいぶ上品になった。



この辺りには「芸者新道」や「小菊通り」など
いかにも小粋で人力車が似合う路地が多い。
さらに奥に「きく家」「よし梅芳町亭」などもある。
ここは京都の祇園先斗町かと思わせる風情。


永井荷風が「日和下駄」にこの辺りのことを記す。
「路地のもっとも長くまたもっとも錯雑して
恰も迷宮の感あるは葭町の芸者家町である。」
「路地のうちに蔵造の質屋もあれば
有徳の人の隠宅らしい板塀も見える。」


路地は多いがごみごみとしたスラムでない。
あくまでも上品で富裕の雰囲気さえ漂う。
最後に雑炊でしめるコースは8,500円。
体があたたまりなんだか心も豊かになる。
よし梅
03−3668−4069