岩本町・むらた

将棋の加藤一二三元名人の意外な事件。
野良猫の餌問題で管理組合と住民に敗訴。
「猫に命がある限り餌を与え続けたい。」
加藤元名人は即刻控訴の意向を示した。


さて、神田岩本町の和食「むらた」である。
おなじみ江戸文化研究会の春の例会である。
江戸縁起しばりの老舗も少なくなってきた。
今回は庶民が食したであろう旬の食材を。


「春ははまぐり」と九段下の会員のご推薦。
「むらた」は本来すき焼きととんかつの店。
もうひとつのおすすめに「はまぐり鍋」が。
2回前の鴨鍋といい本当によくご存知である。


神田の駅から歩くと12、3分はかかる。
岩本町からも小伝馬町からも適当に遠い。
中規模のビルが整然と並ぶオフィス街に。
看板には「創業昭和初期」と書いてあった。



ビルの1階から3階まである大きな店。
個室や座敷も豊富で大人数の宴会向き。
ただしはまぐり鍋は意外にナイーブで
今回のような4人がかりがベストかと。


普通にお刺身とはまぐり鍋のコースも。
今回はあえてとんかつとはまぐり鍋で。
その振れ幅にお店の懐の深さを感じる。


お通し
ほたるいか
酢味噌和え。
やはり旬だ。



海老フライと一口カツ
コロモが焦げたように黒くて
出てきたときはギョッとする。
食べるとこれが抜群にうまい。



とんかつは柔らかくジューシー。
海老フライは肉厚でプリプリと。
とんかつの店を名乗るだけある。
昼はとんかつ定食で成り立つのだ。


芋焼酎
「小鶴くろ」は芋らしくてうまい。
度数が高く濃厚さで好まれる
小正醸造「メローコヅル」の系譜。



昭和通りから清洲橋通り東神田辺りまで
神田川南岸に広がる一帯を岩本町という。
かつて太田道灌が川沿いの防水用土手に
江戸城の鬼門除けとして柳を植えたとか。
「柳原土手」「柳原通り」の名前の由来だ。


水天宮通りから小伝馬町に続くこの地域
江戸初期まで「お玉ヶ池」という池だった。
上野の「不忍池」よりも大きかったという。
池の端にあったお茶屋の看板娘お玉さんが
池に身を投げた古事から名付けられたとか。


あの千葉周作玄武館跡もこの近くである。
旧千桜小学校跡地に石碑が建てられている。
大河ドラマに出てくる弟・千葉定吉の道場は
もう少し南に下った京橋桶町あたりにあった。
お佐那と龍馬の叶わぬ恋のドラマの舞台だ。


はまぐり鍋
いよいよメインディッシュの登場である。
鍋の出汁は黄金色の甘めの麹味噌仕立て。
煮立つのを待ってはまぐりを入れて食う。



黒光りした大粒のみごとなはまぐり。
「浜の栗」と名づけられたのも納得。
こうした皿に一緒盛りも壮観である。
ひとり10粒くらいいただける感じ。
どれも口を真一文字にグッと閉じる。



「口が開いたらサッとあげて食べてください。
ずっと煮ていると実が固くなってしまいます。」
おばさんの言いつけを守り4人ぶん4粒入れる。
意外に粘り強くみんなで鍋をじっと見つめる。


「パカッ、パカッ」
やがてはまぐりがひとつずつ固い口を開ける。
それだけでもちょっとした達成感が味わえる。
待ち焦がれた大粒の実を口の中にほうりこむ。
独特の汐の香りと味噌の味がフワッと広がる。
「うまい。これは、うまい。」


その深い味わいにみな一様に驚きを口にする。
よくある寄せ鍋のはまぐりを予想していた。
また一粒入れ口が開くと掬いあげていただく。
そんな単純作業の繰り返しだが妙に楽しい。


「その手は桑名の焼きはまぐり」と洒落て言う。
木曽、長良、揖斐川が合流して伊勢湾に流れ込む。
山から運ばれた砂がはまぐりに向く干潟を作る。
しかし最近は中国など輸入物に押されているとか。


「うちのはまぐりも中国産なんですよ。」
「それじゃあ輸入品ということですか?」
「ある程度大きくして桑名に持ってくる。
そこでさらに育ったものを揚げるんです。」


桑名漁協は全国に先駆け稚貝放流を始めた。
稚貝を海に放ち育てて捕る栽培漁業である。
輸入物に押されていた漁獲高は上昇に転じた。
やはりはまぐりが育つのにふさわしい海なのだ。


時計の針が8時半を回ったあたりからにわかに
おばさんたちが「帰りたいオーラ」を出し始める。
確かに気が付いたら周りにほかの客は誰もいない。
言いつけを守って一粒ずつ食べていたせいらしい。


最後は20粒くらいをまとめて鍋にあける。
残りの野菜もあけていったん鍋をきれいに。
出汁を少し捨ててご飯を入れて雑炊にする。
味噌とはまぐりのエキスが混ざった絶品だ。


「ところでどうしてとんかつとはまぐり鍋?」
「鍋はとんかつ定食の味噌汁から発展した。」
そんなマユツバな見解もネット上にある。
いずれにせよ4人で2万円の価値は十分。
むらた
03−3866−3012