浅草・米久本店

「アイドリング5号」滝口ミラのブログが炎上、
お詫びを掲載し、一時閉鎖に追い込まれている。
「三日天下」「無芸大食」などの四文字熟語で
同世代の女優や女性アイドルを痛烈に批判した。


どうやら「R−1グランプリ」出演用に考えた
未完成ネタを自身のブログに誤送信したらしい。
滝口ミラ」「四文字熟語」などで検索できます。
これが結構よく出来ていたりして・・。


さて、浅草の牛鍋の老舗「米久本店」である。
今回は「江戸文化研究会」久々の会合であり、
例によって界隈をそぞろ歩きながら店に向かう。



東京下町のランドマーク、浅草雷門。
大きな提灯は「松下電器」の提供だ。
いずれ「Panasonic」に変わるのかも。



6時半なのに閉店間際の仲見世通り。
わが物顔で歩く江戸文化研メンバー。
この中に東京出身者は一人もいない。



昼間なら、参拝や観劇の客などがあるが、
浅草の夜は早く、六区辺りも人影まばら。
特別に風が冷たい日で、寂寥感をあおる。


そんな中にまさに忽然と現れる米久本店。
2階建ての大箱で、座席数300を誇る。



「4名様ならまず予約は要りませんよ。
お越しになれば順にご案内しますから。」
この店が満杯になることは滅多にない。


お通し
牛肉の佃煮。お土産にできる。



牛鍋セット
「上」で3160円。「特」で3790円。
我々が選んだ「上」でこの立派な肉である。



野菜はねぎ、春菊、豆腐、しらたき。
肉はきれいな霜降りと赤いところが
たがい違いに並べられて実に美しい。



あらかじめ調合された「割り下」を、
鍋にひたしながら食べる「牛鍋」は
どちらかというと関東地方の風習だ。


関西では、鍋の上でそのまま肉を焼き、
そこに砂糖や醤油をたして味付けする。
東が「煮る」感覚、西が「焼く」感覚。


名古屋の放送局様の地元では関西風で、
東京に来て初めて割り下を知ったという。
境目は豊橋辺りにあると言われるらしい。
「食」に現れる地方独特の風習は面白い。


仙台出身の部長の実家では
昔から「すき焼き」は豚肉と決まっていた。
東京に来て初めて牛肉を使うと知ったという。
これは地方の風習ではなく家庭の事情である。


店のお姉さんがきれいに盛り付けてくれた。
間合いが大事なことはわかっているが、
無理を言って写真を撮らせてもらう。



ここに割り下を入れてヒタヒタにする。



香りとともに肉に色がついてくる。
卵を溶きながら機の熟するのを待つ。



先の部長は、まだ仙台にいる頃
高村光太郎の詩で「米久本店」を知ったとか。
それ以来あこがれ続けた店に今夜初めて来た。
江戸文化研の米久来訪のきっかけとなった詩。

米久の晩餐」  高村光太郎


八月の夜は今米久(よねひさ)にもうもうと煮え立つ。


鍵なりにあけひろげた二つの大部屋に
ぺったり坐り込んだ生きものの海。
パットの黄塵と人間くさい流電とのうずまきのなか、
右もひだりも前もうしろも、
顔とシャッポと鉢巻と裸と怒号と喧噪と、
麦酒瓶(ビールびん)と徳利と箸とコップと猪口(ちょこ)と、
こげつく牛鍋とぼろぼろな南京豆と、
さうしてこの一切の汗にまみれた熱気の嵐を統御しながら、
ばねを仕かけて縦横に飛びまはる
おうあのかくれた第六官の眼と耳と手の平に持つ
銀杏返しの獰猛なアマゾンの群れと。


八月の夜は今米久(よねひさ)にもうもうと煮え立つ。


室に満ちるタマネギと鱗とのにほひを
蠍(さそり)の逆立つ瑠璃いろの南天から来る寛潤な風が、
程よい頃にさっと吹き払って
遠い海のオゾンを皆(みんな)の団扇(うちわ)に配ってゆく。
わたしは食後に好む濃厚は渋茶の味わひにふけり、
友はいつもの絶品朝日(ノンバレイユアサヒ)に火をつける。
飲みかつ食つてすっかり黙つてゐる。
海鳴りの底にささやく夢幻と現実との交響音。
まあおとうさんお久しぶり、そっちは駄目よ、ここへお坐んなさい......
おきんさん、時計下のお会計よ......
そこでね、おぢさん、僕の小隊がその鉄橋を......
おいこら酒はまだか、酒、酒......
米久へ来てそんなに威張っても駄目よ......
まだ、づぶ、わかいの......
ほらすこへ来てゐるのが何とかいふ社会主義の女、随分おとなしいのよ......
ところで棟梁(とうりょう)、あっしの方の野郎のことも......
それやおれも知ってる、おれも知ってるがまあ待て......
かんばんは何時......
十一時半よ、まあごゆつくりなさい......
きびきびと暑いね、汗びつしょり......
あなた何、お愛想、お一人前の玉(ぎょく)にビールの、一円と八十銭......
まあすみません......はあい、およびはどちら......


八月の夜は今米久(よねひさ)にもうもうと煮え立つ。


ぎつしり並べた鍋台の前を
この世でいちばん居心地のいい自分の巣にして
正直まつたうの食慾とおしやべりとに今歓楽をつくす群衆、
まるで魂の銭湯のやうに
自分の心を平気でまる裸にする群衆、
かくしてゐたへんな隅隅の暗さまですつかりさらけ出して
のみ、むさぼり、わめき、笑ひ、そしてたまには怒る群衆、
人の世の内壁の無限の陰影に花咲かせて
せめて今夜は機嫌よく一ぱいきこしめす群衆、
まつ黒になつてはたらかねばならぬ明日を忘れて
年寄りやわかい女房に気前を見せてどんぶりの財布をはたく群衆、
アマゾンに叱られて小さくなるしかもくりからもんもんの群衆、
出来たての洋服を気にして四角にロオスをつつく群衆、
自分でかせいだ金のうまさをぢつとかみしめる群衆、
群衆、群衆、群衆。


八月の夜は今米久(よねひさ)にもうもうと煮え立つ。


わたしと友とは有頂天になつて、
いかにも身になる米久の山盛牛肉をほめたたえ、
この剛健な人間の食慾と野獣性とにやみがたい自然の声をきき、
むしろこの世の機動力に斯かる盲目の一要素を与へたものの深い心を感じ、
又随所に目にふれる純美な人情の一小景に涙ぐみ、
老いたる女中頭の世相に澄み切つた言葉ずくなの挨拶にまで
抱かれるやうな又抱くやうな愛をおくり
この群衆の一員として心からの熱情をかけかまひの無い彼等の頭上に浴びせかけ、
不思議な溌剌の力を心に育みながら静かに座を起つた。


八月の夜は今米久(よねひさ)にもうもうと煮え立つ。


思潮社刊『現代詩読本 5 高村光太郎


八月の暑い盛りに、牛鍋をつついて汗をかく。
店の中に渦巻く、圧倒的な群衆のエネルギー。
ところで店名は「よねひさ」なのか?


冬場でもあり、閉店間際の時間帯でもあり、
詩の描く世界観とは少しイメージが違った。
だがそれなりに、
カップルあり、
近所のおじさんたちあり、
若い男女のグループあり、
我々のようなサラリーマンあり。


隣の席は観光バスの運転手とガイドさん。
客は2階の大広間か?
勤務中に米久の牛鍋がいただけるなんて
観光バスの運転手という仕事も悪くない。


お値段しめて29,000円。
名古屋の放送局様にご馳走になった。
牛鍋の「上」4人前。
追加の肉と野菜も4人前。
焼酎は甲類のボトルを一本。
最後に一杯のご飯を4人で分けた。満腹。
米久本店
03−3841−6416