鐘ヶ淵・はりや

カーリング女子今日は英国に快勝。
マリリンこと本橋麻里も可愛いが
英国のミュアヘッド選手が可愛い。
カーリングは露出が長くアップも多い。
ついそんな視点で試合を見てしまう。


さて、鐘ヶ淵の居酒屋「はりや」である。
「酒場放浪記」Tプロデューサーを囲む会。
既報のとおりT氏は現在箱根寮勤務中。
今回はやむなく本人抜きで挙行された。


北千住から東武伊勢崎線に乗り鐘ヶ淵下車。
駅から何度か道を尋ねながらたどり着いた。
住居と思われる木造モルタルの2階建て。
見逃しそうな看板と年季ものの縄のれん。



一見ではなかなか入りづらい外観だが
扉を開けてみると中は家庭的な雰囲気。
7、8人のL字のカウンターと小上がり。
待っていたかのように一卓だけ空いていた。


しめ鯖とマグロブツ
これでお店の様子がわかる。
居酒屋ではずせない一皿。



赤貝ひも
歯ごたえが心地よい。
ひもだけを集めた一皿。



千住から向島隅田川が大きく蛇行する。
流域がグッと西に食い込んで荒川に迫る。
二つの川の間はわずか400mしかない。
中州のように挟まれた所が鐘ヶ淵である。


地名の由来にはいくつかの説がある。
相模の北条早雲が戦利品の釣鐘を持ち帰る折
何の祟りか鐘が俄かに音を立て川面が揺れた。
気味が悪くなって捨てた鐘が今も川底にあると。
江戸時代それが毎夕光を放つとの伝説もあった。


隅田川が鋭角に曲がるこの辺りは船の難所。
その川の形が大工の金定規に似ているので
この川沿いを鐘ヶ淵と呼ぶようになったとも。
いずれにしても逸話を想像させる独特の地名。


ねぎトロ
シンプルなねぎトロ。
のりとねぎが香ばしい。



ウィンナー
たこ型の切り込み。
懐かしいウィンナー。



メニューは20品ほど
時間で少し入れ替わる。



鐘ヶ淵は鐘淵紡績つまりカネボウ発祥の地。
カネボウ物流跡地にそれを記す碑がある。
鐘淵紡績という社名になったのが明治22年。
世界に冠たる紡績会社はここから生まれた。


以来工員たちの発散の場として酒場も栄えた。
京成八広駅から水戸街道へ抜ける鐘ヶ淵通りは
いつしか「酎ハイ街道」と呼ばれるようになり
大正から昭和まで人々の汗と涙を酒で流した。


駅の反対側の「栄や」や東向島の「十一屋」など
確かにこの辺りには古くていい居酒屋が多い。
「はりや」も昭和6年から営業しているらしい。
ご高齢の主人と女将が実は2代目か3代目か。


ピリ辛ハンペン
中は明太子である。
醤油の匂いが食欲をそそる。



げそ天
ソースとかつお節の風味。
お好み焼きのようなげそ天。



鐘ヶ淵から南に下るといわゆる玉の井に至る。
言わずと知れた名作「濹東綺譚」の縁の地だ。
国道6号と東武伊勢崎線で浅草に通じている。
玉の井の私娼窟が戦後も栄えた所以であろう。
今でもタイル貼りやアールデコの建物が残る。


永井荷風玉の井に通い始めるのは昭和11年。
断腸亭日乗」によれば3月から4月のことだ。
9月にはヒロインのモデルとなる女性と出会う。
「この町を背景となす小説の腹案漸く成るを得たり。」
実話とも物語りともつかぬ「濹東綺譚」の始まりだ。


キャベツ炒め
実は焼きそばである。
昔風のソース焼きそば
青のりの風味も懐かしい。



初め2人だったカウンターの客が5人に。
ひとりまたひとりと常連客が顔を揃える。
「寒いね」とか「今日はひとり?」なんて
みな毎日会っている人同士の会話である。


酎ハイをガブガブ飲んで4人で8,000円。
下町の居酒屋はあきれるほど良心的である。
大山康晴永世名人の書が自慢げに飾られる。
主人と女将の人柄が隅ずみまで表れている。



酎ハイで洗い流した工員哀話は戦後間もなくか。
玉の井の娼婦の妖しい艶話は昭和33年までだ。
「はりや」が開店した昭和ヒトケタから今日まで
鐘ヶ淵は市井の人々の物語りで彩られて来た。
はりや
03−3612−9888