西荻窪・戎

ポプラ社小説大賞」で4年ぶりの大賞受賞。
鮮烈な作家デビューを飾った俳優水嶋ヒロ
斎藤智の筆名で審査員もわからなかったと。
2000万円の大賞賞金を辞退するオマケつき。


さて、西荻窪の「やきとり戎」である。
南口のドラマのセットのような繁華街。
天気が良ければ道に椅子を出して飲む。
両側に合計6軒の「やきとり戎」がある。



今回お邪魔したのはその真ん中の店。
細長いコの字のカウンターがひとつ。
焼き手が一人に客は10人で満席だ。
ここが「戎」の始まりだと言っていた。


煮込み豆腐
スタンダードな煮込み豆腐を一杯。
ホルモンが溶け込んだ濃厚なスープ。



道にはみ出した椅子に学生さんが3人。
一見の客のようでいろいろと質問する。
店はいつからかとか名物はなにかとか。
隣で聞いてこちらも大いに勉強になる。


今では駅の反対側の北口店はもちろん
品川、初台、横浜、川崎などにも店がある。
そう言えば恵比寿ガーデンプレイスにも。
10人のカウンターからここまで広がった。



今夜は吉祥寺で寺山修司の演劇を見た。
宇野亜喜良の美術、金守珍の演出で
寺山戯曲を地道に演じるプロジェクト。
新宿梁山泊の水嶋カンナ氏が主宰する。


「そういうわけでぼくは6歳の時に
偉大な画家になる道をあきらめた。
大人は何もわかっていないから
いつも説明しなければならない・・」


サンテグジュペリの小説に材を取った
星の王子さま」のおなじみの幕開け。
若い人とアラカン世代が入り混じった
不思議な客層の会場がザワザワしだす。


その舞台にカルメン・マキが出演する。
新聞で知ってどうしても見たくなった。


かしらと豚バラ肉ミニトマト
こぶりだが食べやすいカシラ。
普通の串はどれも一本90円。



ミニトマトが口の中で弾ける。
豚バラの肉汁と適度に混ざる。
こちらは一本200円の高級品。


「おーい、ちょっとカワ持ってきて!」
足りない部位はすぐ隣から持ってくる。
なにしろ隣も向かいも「やきとり戎」。
6軒あると言っても大きな1軒なのだ。


オーディションで寺山修司に見染められ
1968年演劇実験室「天井桟敷」に参加。
「歌のうまい混血少女」はすぐに大評判に。
カルメン・マキ17歳の秋のことである。


しかし彼女の運命が本当に変わるのは
次の年に歌手デビューを果たしてから。
「サロン」で歌われた寺山修司の即興詩
「時には母のない子のように」が大ヒット。


綺麗な顔立ちと独特の冷めた歌いっぷりで
カルメン・マキは一躍時代の花となった。
舞台は「時代はサーカスの象に乗って」以来。
1969年から数えて41年目の快挙である。


ひも
「しろ」でなく「ひも」と言う。
ニチャニチャした歯ごたえがいい。



とりかわピーマン
隣の学生さんがうまそうに食っている。
一本150円だが思わず奮発してしまう。



エキゾチックな容姿と圧倒的な歌唱力。
醸し出す雰囲気は昔と全く変わらない。
やがて前ぶれもなく無伴奏で歌い出す。
「時には母のない子のように・・
  だまって海を見つめていたい・・」


わたしにとっては全く想定外だった。
この舞台で彼女はその歌を唄い始めた。
会場からは嘆息のような嗚咽のような。
100人ほどの観客がこの事件を共有した。


それは特別変わった演奏ではなかった。
41年ぶんの時間と事情とを飲みこみ
ギターとバイオリンをバックに淡々と
「時には母のない子のように」を唄いきった。


イワシフライ
「揚げ物だけラストオーダーですが。」
そう言われるとつい発注してしまう。
尻尾を残し魚を形どった当店の名物。
中にはイワシのすり身がたっぷりと。



観劇の余韻に冷えた酎ハイが心地よい。
外気に触れられるオープンテラスもよい。
気づいたら学生さんはいなくなっている。
一人2000円で仕上がったと思われる。


6軒の「やきとり戎」が1軒ずつ店を閉める。
さっきまでの喧騒が嘘のように静かになった。
頭の中ではまだカルメン・マキが流れている。
やきとり戎
03−3332−2955