東銀座・みよし

体操の内村航平が20歳で個人総合王者に。
日本人として4人目でもちろん最年少である。
囲碁井山裕太が20歳でなんと新名人に。
張栩名人を4連勝で破る圧倒的な強さだった。


さて、東銀座の鴨の店「みよし」である。
初夏の舟遊び以来の江戸文化研究会会合。
誰言うともなく「次は鴨でしょうかね。」
「それならばとっておきの店がありますよ。」
九段下の会員からの強い推薦で決まった。


歌舞伎座裏に小さな店がいくつか集まる。
目指す店は建物も看板も暖簾も控えめで
夜など知らずに行くと見逃してしまいそう。



表も控えめなら中もこぢんまりしている。
L字のカウンターは10人座れば満員で
メニューもなく鴨焼きと鴨鍋だけを供する。
飾らない佇まいに自信と迫力がみなぎる。


お通し
お通しは銀杏。
メニューがないので注文はしない。
客が座ればお通しが出てスタート。
何かあれば予約の時に申し出るとか。



おもむろに半身の鴨に鉄串を数本通し
炭の焼けたロースターの上にかける。
銀杏の皮をむきビールを飲みながら
女将さんの仕事ぶりをしばらく見守る。



やがて鴨肉から油がしたたりはじめる。
そしてパチパチと炭の爆ぜる音がする。
あたりはモウモウと白い煙に包まれる。
最近の出来事など話しながらさらに待つ。


一度肉をロースターからまな板に下ろす。
しばらく置いて熱が中にとおるのを待つ。
もう一度ロースターにかけて二度焼きする。
この間20分。ビールは焼酎に変わっている。


鴨焼き
皮は鮮やかな黄金色。
肉はまだレアな赤色。
見事なコントラスト。


一口サイズの切り身が
折り重なる姿も美しい。
バランスを極めた芸術。



見るだけでうっとりする。
食べてまたうっとりする。
ポン酢を少しだけつけて。
香ばしさと風味が広がる。


九段下の会員の推薦の弁。
「もうステーキは食えないカモ」
「おあとがよろしいようで・・」


先代は寿司も握る和食全般の店だったとか。
外観を見たときから気になっていたのだが
2階も奥の小上がりも使っていたと思われ。
よく見れば看板には「季節料理みよし」とある。


娘さんが後を継いで鴨料理に絞って20年。
目の前の寡黙な女将さんがその人である。
鴨の仕込みも酒のセットもひとりでやる。
予約の電話も忙しくてなかなか出られない。


つみれ鍋
2段階になっている。
まずはつみれと豆腐。
出し汁に少しポン酢。



アッサリと上品な出し汁。
ホクホクと豊かな味わい。
滋味あふれるつみれ団子。



昭和通りの東側一帯をかつて木挽町と呼んだ。
三十間堀川という運河が銀座との間を隔てた。
運搬に利のある川岸には材木商が多く集まり
木挽(小曳)職人が住んだことが名前の由来。


慶長17年(1612年)に開削されて以来
物品を輸送する商船や屋形船で賑わったとか。
名前のとおり幅が三十間(およそ55m)に及ぶ
かなり大きくて立派な運河だったと想像できる。


戦後残土処理のために埋め立てられ面影はない。
その結果材木商もすっかり姿を消してしまった。
歌舞伎座裏には古い飲食店の集まる一角があり
その看板などにかろうじて「木挽町」の名を残す。


鴨鍋
続いて胸肉の切り身と
白菜、しいたけ、春菊。
もちろんネギも背負って来た。



出し汁がだいぶ減ったが
足してくれるので心配無用。
鴨はサッと出し汁にくぐらせて
色が変わったらすぐにいただく。
厚みの分美味しさもたっぷりと。


雑炊
鴨肉の風味が加わって
出し汁が濃厚になった。
それを含んだ雑炊が
うまくないわけがない。



女将さんは先代を見習っているのか黙々と。
聞けば答えてくれるがその他は話をしない。
美味しいものを出せば客はそれで満足する。
ストイックな料理とキャラクターが合致する。


帰りがけ歌舞伎座の周りをぐるりと。
来年4月まではさよなら公演が続く。
その後建替えでいよいよ高層ビルに。
裏の小さな店々の将来が心配になる。


勘定が気になったが4人で22,000円。
銀座でこの雰囲気なら破格と言っていい。
今度は女将さんともう少し話してみたい。
みよし
03−3541−6911