横浜・太田なわのれん

覆面プロレスラーの新人候補グレート無茶さんが
15日の長野市議会議員選挙にトップで初当選し
議会に配慮しつつも今後も覆面で活動をする意向
「この姿で支援をいただいたのそれが礼儀」と。
 
さて、横浜の元祖牛鍋の店「太田なわのれん」である。
おなじみの江戸文化研究会がついに江戸を飛び出した。
横浜から京浜急行に乗り換えてふた駅め「日ノ出町
大岡川沿いの静かな住宅街に突如として偉容を現わす。
 
 

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相部屋はひとつだけでほかは4名から40名の個室である。
伊勢佐木町の繁華街が途切れた先の何もなくなったエリア
接待や観光客などこんな所にも思いがけぬ用途があるのか
明治元年以来、文明開化とともに始まる牛鍋の伝統を守る。
 
先付
牛肉一口にぎり寿し
牛すじ青葉寄せ
食用ほおずきは甘くて
フルーツトマトみたい
 

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八寸
もろこし豆腐尼海老酒盗
帆立貝と錦糸瓜の浸し
粟麩と芋茎(ずいき)の甚太(ずんだ)和え
岩もずくとミニとまと
畳鰯辛味焼き
手の込んだ前菜が続く
 

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お店のキャラクターはかの横山隆一の「フクちゃん」
先付の写真をよく見ると箸の巻紙にもフクちゃんが
牛鍋をつつくフクちゃんとお店の名前を描いた額や
 
絵皿や一升枡などが玄関ロビーに恭しく飾られている 
 

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「明治の鍋 遠くなりにけ里 太田の縄乃れん 英治」
牛鍋を前にお銚子を持ってなにやら談笑する明治の文豪
常連だった吉川英治獅子文六はいずれも横浜の出身で
明治の香り漂う牛鍋に格別の思い入れがあったのだろう
 

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もともと牛肉の串焼きを売っていた創業者の高橋音吉が
牡丹鍋をヒントに牛肉を焼かずに煮て食べる方法を考え
浅い鉄鍋を用い味噌と葱で臭みを消す今の牛鍋を始めた。
炭火の七輪を使って煮るのも当時から変わらない手法だ。
 
「品物は俺のもの。売るも売らぬも俺の胸先三寸。」と
頑固で酒好きの太っ腹、店主の音吉は豪放磊落の人らしく
朝からほろ酔い気分で仕事をするので肉はすべてぶつ切り
お客にはこれがかえって喜ばれたのだと語り継がれている。
 
ぶつ切り牛鍋
 初めにぶつ切り牛肉がひと皿と
ご覧のような鍋がセットされる
お肉の上には大量の江戸甘味噌
鍋の中には一定量のだし汁がある
 
 

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これはディスプレイ用の盛付けで
ここからお肉をいったん取り出す
ネギ、春菊、しいたけ、しらたき
など野菜もそれぞれ入れて煮込む
 
サシの入った上等のお肉を生卵で
調理法は明治初年から変わらぬが
こんないい肉は食っていないはず
味噌は臭みを消す工夫なのだろう
 
 

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肉と野菜が煮えると盛り付けるローテーション
一巡めはまだ出汁と味噌と肉が分かれているが
二巡めになるとそれらがだんだんと混ざり合い
 

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三巡めではもはや一体化して区別がつかなくなる
ここで肉と煮詰まった味噌を白飯にかけていただく
それはもう「美味しくないはずはない」というやつ
 

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水菓子
桃の摺り流し
味の濃い牛鍋のあと
口直しにさっぱりと
前菜から水菓子までの
完成された流れである
 

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帰りは少し足を伸ばし伊勢佐木町の怪しい繁華街を抜ける。
中国、韓国、東南アジア、インド、中近東などの各国料理
さすが国際都市横浜と思わせる多国籍の飲食店と客引き達
さっきまで元祖牛鍋を食っていたことが夢のように思える。
 
やがてヒーローインタビューの高揚した声が聞こえてくる
ベイスターズの試合が終わったばかりの横浜スタジアムだ。
そこからみなとみらい線日本大通り」駅までもう少し歩く
日本大通り」って名前もやたらスケールが大きいなと思う。
 
太田なわのれん
045-261-0636